トルヒージョの観光
12時35分、トルヒージョに到着。 バスを麓の公園前で降りる。木陰では老人が集まって話を弾ませていた。 町は小高い丘の上にあり、ここから徒歩でマヨール広場へ向かう。
広場の真ん中には1532年ペルーのインカ帝国を滅ぼし征服したピサロの騎馬像がある。
(※写真) 1927年にアメリカの彫刻家ラムセイによって作られたブロンズ像だ。


広場を挟んで反対側にあるコンキスタ侯爵邸はピサロの兄弟のうちで唯一人帰国してこの地で没した弟のエルナンド・ピサロがペルーから持ち帰った富で築いたものだ。 また、サン・マルティン教会の向かいにはサン・カルロス公爵邸(17世紀)があり、コーナー窓にはバルバカス家の紋章である双頭の鷲が見られる。 ここは今日では禁域生活をする修道女たちの隠れ修道院となっているそうだ。

ピサロ像の背後の丘には城があり、我々も登ってみることにする。約15分かかったが絶景である。 ここは10世紀の建造で既に廃墟となっているが、見張り塔の教会からは町の守護聖女「勝利の女神」が眼下のマヨール広場を見下ろしている。 この像は100ペセタを入れるとしばし半回転して間近に見ることができる。 城塞の上からはトルヒージョの町と近郊が地平線の彼方まで見渡すことができる。


 マヨール広場に戻り、昼食のためトルヒージョのパラドールに向かう。 ここは16世紀の修道院を利用したホテルで、スペイン名物のパエリアが出されたが非常に美味しかった。 食後、更にカセレスへ向かう。

Trujillo y su historia de conquistas

エストレマドゥラ地方は夏は酷暑、冬は厳冬、土地は痩せて現在でもスペイン中で最も貧しい地方なのです。こんな厳しい環境から我慢強い人間が多く、現在でも出稼ぎが一番多い地方と言われています。それゆえ、大航海時代には新大陸の富と名誉を求めて多くの若者をコンキスタドーレス(征服者)として中南米へと旅立たせたのでしょう。当地の出身者で南米ペルーを征服したフランシスコ・ピサロもその一人で、このトルヒージョのマヨール広場には成功者としてピサロの堂々としたブロンズの騎馬像が建っています。
この貴族の邸宅が立ち並ぶマヨール広場から歩いて5分、1533年に作られ1984年迄使われていたSanta Clara修道院を改装したのがパラドールです。



丘の上の城まであと少し

 
トルヒーヨ  人口は9,000人。マドリッドから国道5号線で253キロ。国道をそのまま南へ行けばメリダまで90キロ、西へ行けばカセレスまで48キロで、ローマ時代の昔からひらけていた町です。トルヒーヨからは勇ましい冒険家が大勢アメリカ大陸へ渡っていきました。その中でもとくに知られているのがペルーの征服者フランシスコ・ピサロとアマゾン川の発見者フランシスコ・デ・オレヤナです。歴史の見方によっては、ピサロはインカ帝国を滅亡においやった張本人とみなされていますが、それはさておき、スペインでは大英雄です。トルヒーヨではマヨール広場へ行ってピサロの騎馬像を見ましょう。広場周辺には新大陸で巨大な富を得て帰ってきた人たちの邸宅がひしめきあっています。内部見学ができるのはサン・カルロス公爵邸とオレヤナ・ピサロ邸の2ヶ所だけです。

 

 

城から見たサン・マルティン教会

マヨール広場から10分程坂を上り詰めると城Castilloに着きます。高台にはとても美しい城壁を残していますが中には小さな礼拝堂が残るだけです。しかし、この城壁から望むトルヒージョの町とマヨール広場はとても素晴らしいのです。
☆ コンキスタドール(征服者)

コンキスタドールとは征服者、つまり新大陸に出かけてインディオを支配し統治した者を言います。新大陸の統治のために1503年「エンコミエンダ(信託)」の制度が作られ、信託を受けた私人「エンコメンデロ」は新大陸に出かけインディオを征服して社会的・経済的・宗教的に支配して、その富をスペインに持ち帰り分け前を得たのです。この一攫千金を夢見て出港地セビージャに集まってきたのがエストレマドゥラ地方の貧農民たちでありました。
この金銀の輸入を管理していたセビージャ商務院には一世紀半の間に、それまで全ヨーロッパの保有していた銀の三倍の160万トンもの銀が持ち込まれたと言います。同様に金も全ヨーロッパの5分の1の量の18万トンに達したのです。しかし、この間にコロンブスの最初の航海から二世紀の間に90%以上のインディオが略奪や強制労働で殺されたと言います。

この悪名高いコンキスタドールの中でもっとも有名なのが600名の兵士を率いて1521年アステカ帝国(現メキシコ)を滅ぼしたエルナン・コルテスと、1531年わずか180名あまりの兵士でインカ帝国(ペルー)を壊滅させたフランシスコ・デ・ピサロでしょう。コルテスは何の武器も持たない六千名ものインディオを一同に集めて閉じこめ一人残らず槍や剣で殺したといいます。

一方ピサロは、村で殺戮や略縛を繰り返し、怒って攻めてきたインカ帝国13代皇帝アタバリバを逆に捕虜として捕まえ、1500万カステリャーノ(67500kg)もの金を差し出させ、挙げ句の果てに火あぶりの刑に処してしまうのです。
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